ブログに綴る鉄旅の記録

旅行記を毎日ダラダラと綴っています。旧ブログ民の記事を順次引越し中。@付記事は現地・携帯からの投稿です。

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旧・富岡製糸場 #1 (2012/7/8)

2012.07.25 (Wed)
ぐんまツーデーパスSPで行く群馬県内の路線乗り潰しの旅です。
検査人館
 
前回の続き)上州富岡駅近くにある世界遺産候補の富岡製糸場を見学します。

正門を入ると、まず左手に検査人館と呼ばれる建物があります。(手前は入場券売り場)
もともと生糸や機械の検査を担当したフランス人男性技術者の住居として建設されました。
現在は事務所として使用。2階には皇族や政府役人が訪れたさいに使用されたとされる
貴賓室が、ほぼ当時の状態で残されているそうですが、事務所なので外観のみの見学。
 
東繭倉庫
 
続いて、正門正面にある東繭倉庫です。1872年(明治5年)竣工。長さ104.4m、幅12.3m、
高さは14.8m。一見、普通のレンガ造りの建物に見えますが、構造は柱や梁は木材、壁は
レンガ積み、目地は漆喰を使った木骨レンガ造り。

 
(ちょっと見づらいですが)、キーストーンに「明治5年」と刻まれています。建設開始当時は
まだ日本でレンガ製造が始まったばかりで建築資材として大量に購入できなかったので
群馬県甘楽町に窯を築いて瓦職人が作りました。そのため初期に建築された東繭倉庫は
レンガの質が一定ではなく、ほかの建物と比べ多少まだら模様となっています。

 
レンガの一部には石垣刻文よろしく当時のレンガ職人が付けたと思われる印があります。
ちなみに積み方はフランス積み(正確には「フランドル積み」)。ガイドはフランス人技師を
招いたのでフランス積みになったのでは?と説明していましたが、日本では明治初期は
フランドル積みが多く、のちにイギリス積みが主流となったので、その流れでしょうね。

 
東繭倉庫の内部は1階の一部が資料展示に使われ中に入ることができます。

女工館
 
東繭倉庫の次は検査人館のとなりにある女工館です。日本人工女に器械による糸取りの
技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居として建設されました。

診療所
 
女工館の次は診療所です。3代目の診療所で当初は別の場所にありフランス人医師が
治療にあたっていました。官営時代は治療代、薬代は工場側が負担しており、このことは
厚生面の充実を示しています。見学者にはガイドに女工哀史の話を聴きたがる人も結構
いるそうですが、意外と労働環境は悪くなかったようですね。ただ、当初はフランス人の
飲むワインを血と思い込み「富岡製糸場に入ると外国人に生き血を取られる」とのデマが
広がり工女募集になかなか人が集まらず苦労したそうです。

ブリュナ館
 
これは指導者として雇われたフランス人のポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居です。
建坪は320坪もありブリュナがどれだけ厚遇を受けていたかが分かります。建物はのちに
工女に読み書きや和裁などを教える夜間学校として使用されました。これは企業内教育の
先駆けと言われています。
次回も富岡製糸場の建築物を紹介します。(次回に続く)

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